薬 師 2

 時行は無差小路むさのこうじをそう年も変わらない男性と南下していた。尤も時行は歩いているわけではなく、その男性の背に背負われているのだが。

 「腕は痛くないか?」

 男性が背中に声を掛ける。それに対して時行は多少と返答する。保憲に渡す薬を調合するに当たり、昨晩はかなり長い時間粉砕及びすり潰しの作業を続けていた為、時行の両腕は疲労に悩まされていた。普段から鍛えている御陰で筋肉痛になっていないのが不幸中の幸いではある。

 「そういえば、あの朱雀門の者は朱呑童子と申したな。」

 独り言のように男性が呟く。

 「望来もちゆき殿は何ぞ彼に興味でも持たれたか?」

 「ここは内裏ではない。そう呼ぶのはよしてくれ。しきよし汝弟なおとのみこと?」

 望来と呼ばれた男性は、故意に時行の嫌がる呼称で呼んで返した。

 「失礼致しました、兄上殿。」

 殿も余計だと望来が笑って返す。

 この二人、共に典薬寮に所属している。兄こと橘黄花望来たちばなのおうかのもちゆき呪禁生じゅごんせいとして、弟こと橘蒼実時行たちばなあおざねのときゆきは薬園生として典薬寮に所属している。そしてこの二人が、ある理由から便宜上兄弟であることは一部の人を除いて知られていない。二人はそのある理由故に常に二人で行動している。無論宿直の日も全て同じだ。

 「話を戻す。古くに吾等がまけと接触があった者と再び接触したということは、そろそろ動くかもしれぬな。」

 「こちら・・・はともかく、問題は内裏よな。」

 かなり大袈裟に時行が溜息をつく。

 「真に内裏の護りに就けるのは、忠行様と保憲様くらいだ。忠行様はともかく、保憲様はまだ年若い。」

 指折りながら他者の名も挙げ、そして望来はかぶりを軽く左右に振った。時行は自分達も若輩に当たるのだがと言いたかった。実際彼等は保憲よりも年下であった。が、時行は敢えてそのことには口を挟まないでいた。そして望来の言葉を継ぐように続けた。

 「言い方は悪いが、つかえるのは保憲殿くらいなものだろうな。」

 敢えて主語を省略して言葉を唇に乗せた時行に対し、望来はがえんじてみせた。



 くしゃみを止めた袖の向こうから謝罪の声が博雅に届く。博雅は気にしない旨を伝え、そして今迄衝動的に掴んでいた保憲の両肩を解放した。

 博雅は陰明門の舞士と彼の回りに居た二人の童子の事がずっと気になっており、あの夜からずっと保憲と話す機会を伺っていた。身分は博雅の方が上であるから呼び寄せれば済むのだが、極力仕事の邪魔はしたくないという理由からそのようなことはせずにいた。今朝漸く保憲をつかまえることが出来、舞士の事を色々と尋ねていた。が、保憲は答えをはぐらかす一方で何も答えてはくれなかった。それ故つい感情的になり彼の両肩を掴んだところ、あたかもそれを待っていたかのように保憲がくしゃみをしたのだった。

 「どうしても会うことは叶いませぬか?」

 保憲は俯き加減で軽く首を左右に振る。

 「彼の気が向かぬ限りは無理でしょう。風みたいなものですからね、彼は。」

 むぅという擬音が聞こえてきそうな表情になる博雅。そこへ声が掛かる。現れたのは重信だった。ますます窮地に追い込まれる保憲。

 和やかに二人と挨拶を交わし、博雅から事の顛末を聞いた重信は保憲と博雅の間に入った。それから先程最後の保憲の言葉を聞いていたことを詫び、あくまで丁寧に言った。

 「保憲殿は会えぬとは一言も言うておらぬ。つまり会えなくはないということであろう?彼に返したい物もある故、そこを何とかしてもらえないだろうか?」

 重信は懐から鈴を取り出して見せた。保憲の脳内で先日時行が「落とした水晶の鈴を拾われた。」と言っていた事が甦る。同時に「まだ災難は去ってはおらぬ。」ということも言っていたことも思い出す。自業自得だ、覚悟を決めてもらうか。と保憲が思ったか否か分からぬが、出来る限り善処することを重信に約束した。

 「お二方共、早うなされませ。遅れまするぞ。」

 他の殿上人から声が掛かる。その声に博雅が返答し、その間に重信は保憲に念を押した。

 座した状態で参内する二人の後ろ姿を見送りながら、保憲は面倒なことになったと肩を落としたのだった。

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